ネオジャパン

クラウドとは?SaaSとは?コンピュータ・ネットワーク史のリアルタイム経験者が語る――横浜国立大学での特別講義から
(講師:株式会社ネオジャパン・狩野英樹)

月440円で始めるdesknet's NEO

400万のユーザーに活用されるグループウェア「desknet’s NEO(デスクネッツ ネオ)」の開発会社・株式会社ネオジャパンは2019年12月9日、学部生を対象とした授業を横浜国立大学で行った。テーマは「SaaS(サース=Software as a Service)/クラウドサービス」について。登壇した経営統括室室長・狩野英樹はインターネット史をひもときつつ、それらの価値と有用性を語った。

狩野の大学卒業は1988年。以来30年以上にわたってIT業界で働いてきた。

「職種にもよりますけど、ITの人って色々な人脈を持ってるんです。なぜかって、あらゆる業界にITが必要とされてきたから。だからこそ今、人と人をつなぐ意味でもIT業界で働く人たちはより大事になってきていると思います」

黒板に板書された「SaaS」そして「Cloud Services」の文字。

「どちらもコンピュータとネットワークが発展してできた仕組みです。これを理解していただくため、今日は四半世紀を超える歴史をさかのぼります」

さて、その詳細とは――。

コンピュータがパーソナルな仕様=PCに。パソコン通信の時代が始まる

コンピュータがパーソナルな仕様=PCに。パソコン通信の時代が始まる

2019年現在、もちろんインターネットは「日常」で、プログラミングにしろハード構築にしろ、ブロックパーツを組み合わせるような設計から始められる時代である。しかし、狩野が学生だった頃はコンピュータの構造を理解して半導体をいじり、ハードを「手作り」していた。

そんな時節だった1982年、狩野にとって衝撃的なことが起こる。16bitパソコン「PC-9801」(日本電気=NEC製)が誕生したのだ。「『これからは個人がコンピュータを持つ時代』と叫ばれ始めたのが1980年代初頭です。それを実感させてくれたのがPC-9801でした」

当時のコンピュータの規模感からすると、「(物理的・技術的に、等で)ビジネスに使うのは難しい」というのが正直なところだった。だが、PC-9801には、パーソナル(=個人の)コンピュータとして職場の机上に進出できてしまうコンパクトさがあった。

一方、ネットワークの世界にも変化が起こる。1985年、日本電信電話公社が民営化され、日本電信電話株式会社(=NTT)が設立。それまで「国から買うもの」だった電話回線の権利が、民間にわたったのだ。「PCで何かをしようと思っていた人たちにとって、これは朗報でした。権利まわりを気にせず通信であれこれできる環境が生まれ、PCはホントの意味で『創造の卵』になったと思いました」

そして1990年代、「パソコン通信の時代」へ。PCのスペックや価格が民間に広まりやすいものへと進化。PCとPCの間でのやりとりを充実させる必然性も高まった。「今でこそ皆さん、Googleで検索して調べたり、チャットをしたり動画を見たり等、ネットワークで自在にできますけど」と前置きし、狩野は「電子メール」の話を始める。「1990年代、通信の中心はメールでした。それと『電子掲示板』。ともに『情報を共有しよう』という形で活用されたんです。メールシステムは以前からありましたが、それが日本で『文化』になったのがこの頃です」

ただし、回線速度は遅かった。「当時は300bpsとかでしたからね」。仮にいま話題の「5G」の最大通信速度を「20G(キガ)bps」とすると300bpsはその6,666万分の1ほどになる(十進法での計算)。直感ではわからない「遅さ」だろう。「300bpsがどれくらいかっていうと、パソコンでメッセージを送ったら相手の画面に1文字ずつ表示されて、『お・は・よ・う』って目で追える速度だったんです。だから1,200 bpsになった時に文章がパパっと表示されるのを見て感動しました」。とはいえ、まだそれは郵便やFAXを代替するもの、という程度の役割でしかなかった。

PCやOSの進化に続き、ネットワーク発展の画期的な出来事が起こる

PCやOSの進化に続き、ネットワーク発展の画期的な出来事が起こる

1990年代前期、インターネットはまだ国際的には「潜在」状態で、「VAN(バリュー・アディッド・ネットワーク=付加価値通信網)」が商業通信ネットワークの仕組みとして発達していた。いわゆる「パケット通信」を行う仕組みで、これがIP回線によるインターネット通信へと後に変わっていく。

コンピュータとネットワークを使って情報処理をしようという思想自体はVANの時点からすでにあった。しかし、情報処理を担ったホストコンピュータは「まあ、馬鹿デカくてね、この教室いっぱいくらいですよ」というもの。そのとき狩野はEDI(=受注や請求などの企業間取引を専用回線で行う仕組み)の標準化や通信プロトコルの開発、電子メールシステムの相互接続に関する標準化・開発などに従事していた。プロトコル、いわば通信にまつわる手順やルールのことだが、その整備がまだ行き届いていなかったのだ。

「皆さん驚くと思いますけど、昔はメールって同じサービス内でしか送受信できなかったんです。例えばPC-VANからニフティにメールが送れなかった。今でいう「@」以下のドメインが違うと手順やルールが異なって情報が処理できなかった。そんなイメージです」。しかも、漢字表記が可能な端末も限られた。「漢字ROMというものが必要でした。そのROMが使えるPCだけが日本で流行したんです。もちろん国産のものばかりで」

だが、時代は動く。

海外製OS(=オペレーティングシステム)が日本で急拡散したのだ。
IBMが開発し、Microsoftと共に広めた「PC-DOS」「MS-DOS」また「Windows」といったOSは、1990年代前半で世界的なデファクトスタンダードになっていった。しかし、その波が日本へ到達するのには遅れが生じた。なぜか? 日本語が打てるPCがすでに日本市場を席捲していたからだ(海外製は基本、日本語に対応していなかった)。ところが、IBMが一歩を踏み出す。「漢字辞書をハードのメモリに物理的に追加しなくても、機械を起動させOSをたち上げるごとに、ソフトウェアが漢字辞書をメモリに読み込んでくれるという仕組み」を開発したのだ。「DOS/V」である。漢字ROMを使わずに、そういった互換を実現するシステムさえあれば日本語が使える道が開け(てしまっ)た。日本のPCメーカーが大慌てしたことは想像に難くない。

しかもDOS/Vを動かせる機器が1992年末に12万8000円という超格安(当時は標準PCが25~50万円で売られていた)で日本市場に登場してしまう。これが日本のPCメーカー勢力図を破壊し、激変させるきっかけになった(「コンパック・ショック」と呼ばれる)。NECや富士通をはじめ、他のメーカーも軒並み国際競争により強くコミットせざるを得なくなり――もちろんこの現象は日本語だけに起きたわけではなく、「言語の障壁」が色々な国で減っていった――PC・OS市場の競争は激化。より高性能で、より小さく軽いPCへと端末は進化し、OSも、日本における「Windows 95」フィーバー(1995年)などに象徴される形で、高利便性・高汎用性を実現したシステムへと変わり、一般家庭にも浸透した。しかもWindows 95は「TCP/IP」の通信プロトコルを標準としていた。このTCP/IPに則ったネットワーク、つまり「インターネット」がすでにアメリカで普及していたのだが、Windows 95を契機に日本でも爆発的に広まり、インターネットが突然、通信のスターダムにのしあがった。

「しかし、ハードウェアが劇的に変わっていったのに比べ、ネットワークの進歩は遅れていた気がします。当時、僕はコンパックで働いていて、当然VANの『次』、つまりパソコンとインターネットのビジネスモデルを試行錯誤していましたが、今から考えると、当時のIT業界の名だたる会社・巨人たちの多くも、そこから先がうまく進められてなかったと思います」

この時代(90年代半ば)、ソフトウェアも開発されてはいたが、それらはCD-ROMなどで配布され、ネットワークを意識したものは希少だった。一方で、ソフトウェアが次代産業の軸になるという見方もすでに出始め、「ソフトウェアの銀行」の意をもつ社名を冠する「ソフトバンク」創始者・孫正義氏もパイオニアとして活躍していた。

ネットワーク発展のエポックになった要素には多くのものがあげられる。狩野は「ポータルサイト」誕生にもその意義を見た。それまでネットワーク上に「散在」していた情報。それらを体系的に(検索などで)アクセス可能なものへと進化させたのがポータルサイトで、先駆けは1995年、アメリカで産声をあげた「Yahoo!」である。1996年には「Yahoo! JAPAN」が設立した(現在ヤフーはソフトバンクグループの子会社)。

ネットワーク上の個別バラバラな情報が、TCP/IPなどで通約可能になり、インターネットでやりとり可能になり、しかもポータルによって体系的に出し入れできるようになった――となると、どうなるか?

「情報をサービス化していくという変革の流れが強まったんです」と狩野は言う。

有線・無線のインターネット回線も充実。「クラウド」誕生のきざしも

有線・無線のインターネット回線も充実。「クラウド」誕生のきざしも

未来学者アルビン・トフラーの『第三の波』が流行したのは、今は昔。しかし、農業革命、産業革命の二波に続く「第三の波=情報革命」が来るだろうとの彼の“予言”は、情報化社会への進展として現実になった。

ポータルサイトの成功などによって情報自体の価値が高まるきざしが出てくる中、インターネットを支援する流れも強まった。幸いだったのが「モバイル」の急進展が始まったことだ。もちろんそれを後押ししたのが携帯電話の普及である。

「それまでは、ピー・ガー!とか鳴らしながらモデムと電話線でインターネットを使っていたのが、1999年に『iモード』っていう、携帯でできるインターネットサービスが生まれたんです。みんなiモード知ってる?(学生、沈黙……。)だよね。このあたりでようやく皆が『おぎゃあ』って生まれるか、くらいだよね」

さらに並行して、ADSL回線、間髪入れずに光回線が急速に広まった。おおまかに説明すると、ADSLはすでにある電話回線を「より効率よく」使って基幹となる光ネットワークへ接続し、高速通信を可能にするもの。一方の「光」は、その光ネットワークに対し、各事業所・各家庭へと新設された光ファイバーケーブルを引き込み、高速通信を実現するもの。日本はITバブルの影響、国策の関係で光ファイバーを全国的に相当数設置していた。通信速度はこれによって「メガ単位=100万bps単位」の世界に変わり、その進展を企業も支えた。

「当時『ブロードバンド革命』を掲げてADSLの普及に全社をあげて取り組んでいたのがソフトバンクです。一方、ADSLで敵わないと判断した他の通信事業者は、光回線の普及に一気に資源を投下しました。時代が大きく動き、日本は世界有数のブロードバンド大国にのし上がったんです」

2000年代前半には有線のインターネット回線が十分に国内整備され、さらには無線サービス、いわゆる「モバイルインターネット」(今でいう「Wi-Fi」を通じたネットなど)が2008年の「iPhone」発売とも相まって、「4G」へ移行した後、飛躍的な発展をとげていく。

「それまでのPCはしょっちゅうフリーズしてました。16bit、32bitメモリ時代のPCではブルースクリーン(=OSの異常を知らせる画面)が出て、そのままデータがなくなる悲劇とかもあって。でも、一気にネットワークが充実して、文字だけじゃなく画像や動画やさまざまなコンテンツが本当にスムーズにやりとりできるようになったんです」

重いデータのやりとり。その延長で実現可能になるのが、ソフトウェア自体、またその関連データ自体の運用をネットワーク上で行ってしまう世界だ。例えば「あのソフトが欲しい」といった時に、ソフトが入ったCD-ROMなどを物理的に購入しに行かなくても、インターネットでサーバーにソフトをインストールしてデータを使う、という環境を整えることも可能になる。

時代は、そんな世界の実現へ歩を進めていた。

ASPそしてSaaSのビジネスモデルが普及。技術連携“黎明”の「今」を活かす

ASPそしてSaaSのビジネスモデルが普及。技術連携“黎明”の「今」を活かす
まずは「クラウドサービス」の定着である。ユーザー側にそれなりのスペックのサーバーがなくても、否、もっと言えば「最低限のネットワーク接続環境と端末」さえあれば、ネット経由でコンピューティングサービスが受けられる、そんな提供形態が「クラウド」と呼ばれ、広まることとなった。その提供スタイルの先駆けとして誕生したのが「ASP(=アプリケーションサービスプロバイダ)」によるビジネスモデルだ。コンピューティングサービスの中でもソフトウェア、アプリケーションをネットワークだけで手に入れられるようになったのがASPの利点である。

「そして、このASPからSaaSっていうサービスが発展的に生まれてくるんです。従来のASPは、ビジネスでいえば、データセンターにある各企業向けのサーバーにソフトをポンッと載せて使ってもらうイメージ(ざっくり言うと)。インストールしたソフトやアプリケーションは単体のサービスで、連携もありません。個々の企業ごとに管理の仕様等をインフラ部分から組み立てるケースがありました。でもSaaSは、ベンダー(=製造元、販売供給元)がサービスプラットフォームを設け、そこでソフトやアプリなどのサービスをネット経由で提供します」

SaaSが広まった最大の利点は、IT関連の技術やリソースのない企業でも、便利なITツールが同じような管理レベルでいくつも使えるようになったことだ。従来のASPで求められた「ユーザー側のアプリケーションの個別管理」はSaaSにはほぼ存在しない。しかも、ベンダーがお互いのサービスを連携させ始めた。その結果、ユーザーにとって、ネットワークサービスによるITツールのビジネス活用がグッと身近になったことは容易に想像できるだろう。SaaSはASPをより充実させた。

「今あるTwitter、SkypeなどのサービスもSaaSです」。グループウェア「desknet’s NEO」の便利さもSaaSで享受できる。さらに現在のSaaSは、プラットフォーム提供(Salesforce.comやNetSuiteが有名)、オンデマンド・プログラミング言語の提供などもできるように進化していて、今後の伸びしろも豊かだ。

「ネオジャパンは、今もSaaSを軸に開発・ビジネスを展開しています。振り返れば弊社は、ネットワークが未成熟で情報共有もままならない時代にウェブベースのグループウェアをつくり(1999年)、iモードが出れば、携帯電話でスケジュールが見られる日本初のシステムを開発し、ASPにもいち早くコミットし、HTML5も先駆けて採用してきました。最新技術に即応し、柔軟に使ってきたんです。今後は、このスタイルを他社連携という形でも活用していきたいと思っています。先般desknet’s NEOは法人購買サイト「Amazonビジネス」と機能を連携させましたが、SaaSでは『連携しやすい環境』がどんどんできてきているんです。発展性があって、おもしろい業界ですよ。ぜひ皆さん、連携・拡大するIT業界に目を向けてみてください」

日進月歩のITは、もはや業界を選ばない発展形態になっている。ITを活用できるかどうかは、ビジネスの浮沈に大きく関係する。本稿を機縁に、ITへの学びの一歩を踏み出してみてはいかがだろうか。

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正木伸城

WRITER

正木伸城

ネオジャパン・マーケティング統括部マネージャーとして、社会・メディア・顧客・ユーザーなどステークホルダー間のリレーション構築を行っている。自社製品活用のケーススタディ取材、ユーザーへのヒアリング経験も豊富。